2021/10/16 - 10/18

大宮の大栄橋下 宮一コミュニティホール、埼玉

アートイート高架下

UDCO(アーバンデザインセンター大宮)の企画(社会実験)で地元大宮駅の大栄橋高架下は宮一コミュニティホールで作品展示させていただきました。

なんやかや今まで大宮で作品を展示することはほとんどなかったので、非常に嬉しかったです。藤村龍至さんのクラブハウスのトークに突発的に参加することから繋がった不思議な縁でした。

大栄橋の風景について             

 今回、この大栄橋の高架下で作品を展示するということで大栄橋について調べたり、自治会の方々にお話を聞かせてもらう機会をいただけ、改めて色々なことを知ることができた。大栄橋の歴史は60年ある。橋が出来る前はほとんど開かない「開かずの踏切」があり、自転車などで渡る際は大変だったのだろうと想像がつく。僕は1985年に当時の大宮市植竹町で生まれ、現在も大宮に住み作家活動をしながら生活している身で、大栄橋も常に身近にあるものとして渡り、くぐり、見続けてきた。当たり前にある大栄橋だが、60年前に出来たこと、当時は踏切だったことなどは知らなかった。調べ、また話を聞いていくうちに様々なことを知った。特に印象的だった話は蒸気機関車の話だ。大栄橋がなく踏切の待ち時間が大変だった頃、橋がなかったというとそうではなく鉄橋があったらしい。宮町一丁目自治会理事長である小嶋さんは子どもの頃そこに友達と一緒に蒸気機関車が通る瞬間に橋へ駆けていき、大量の黒い煙を全身で浴びてはしゃいでいたという。煙の中に入っていく遊びである。今では考えられないような遊びで、シンプルにめちゃくちゃ楽しそうだと思った。
 明確に歴史化や文章化されてないだけで、大宮に生まれ住んでいる人達の間でそういった様々な思い出があるのだろう。振り返ってみて自分はどうか。大栄橋は、自動車はもちろんのことだが歩道の自交通量もなかなかのもので、特に通学時間の朝は多くの高校生たちが所狭しと自転車を走らせている。これは東口からみて西口側の先にたくさん高校があるからだ。僕が通っていた大宮光陵高等学校もそのうちの一つで、植竹の実家から水判土や植水の方向にある光陵へ自転車で行くには大栄橋を通る必要があった。もちろん他にも小さな踏切や高架下やコンコースなど大宮駅を渡るにはいくつか選択肢はあるのだが、待ち時間なしで自転車で一気に行くのは大栄橋一択という感じであった。実家から高校まで自転車で行くのはおよそ40分ほどかかり、大栄橋の坂を越えるのは他に自転車で通学している高校生も多く、毎朝の移動としてはなかなかの運動量だったと思う。そもそもバスでも行けるしそのほうが早く着くのだが、バスに乗って駅についてまたバスに乗るという手間が面倒で、多少時間がかかっても自転車で向かう習慣をほぼ365日続けていた。
 完全に自分の思い出語りになってしまうのだが、高校生の頃の自分は人生の中で一番悩み、考え、苦悩していた。それは進路のこと(美大に行くとか本当に大丈夫なのか?)とか、デッサンのこととか(高校では美術科クラスだったがその中で下のほうだった)、恋愛のこととか(すべて片思いで成就しなかった)、とにかく色々だが常に何かの悩みを抱えながらも朝になると学校へ向かい自転車を走らせ大栄橋の坂を上がっていた(学校へ行けずくじけることもあった)。現実逃避、というわけではないのだが当時からインターネットやゲームが好きで、小遣いを貯めて買った自分のデスクトップパソコンで家でよくネットサーフィンばかりしていた。学校や予備校へ行ったりしても家に帰ってネットやゲームをしたいなという気持ちが常に頭にあり、引きこもり気質だったと言える。CDウォークマンを買って、好きだったアニメの曲などを聴きながら通学していた(音楽聴きながらの自転車は危ないです)。「あずまんが大王」のサントラや、坂本真綾のアルバムなどをよく聴いていた。その時としては深刻だった自身の悩みを抱えぐるぐる考えながらも好きな曲を聴きながら大栄橋の坂を一生懸命自転車で駆けていく時は気分が良かった。橋から見える風景、晴れた日の空や商店街やダイマルの看板などを背景に、好きなアニメの音楽から想起されるキャラクターや世界観に想像を巡らせ、毎日通学していた。そういうわけで、大栄橋の思い出は自分が好きだった音楽やキャラクターと共にあった。
 現在の自分もインターネットやゲーム、アニメなどのキャラクターが非常に好きで、そういったイメージをコラージュして再構築した作品を主に作り、発表し続けている。当時の自分が大栄橋を自転車で渡りながらもアニメやキャラクターのことばかりを考えていたそのイメージと、現在制作しているようなキャラクターのコラージュ作品を接続するような絵を作り、過去と現在を作品で接続できないか考えた。ただ自分の思い出やイメージだけではなく、現在の風景が重要なのではないかと考え、改めて自分で写真を撮影しに大栄橋に何日か通ってみた。やはり自転車で移動する人々に目が行く。大栄橋は子供、高校生、老若男女が自転車で移動し続ける場所だ。ウーバーイーツなどの食べ物を届けるサービスで二輪で移動している人も多く、国籍もさまざまだ。当時の自分に近い年齢の人も多い。橋の下はどうかというと、大きな壁画が目に付く。東口側の大栄橋側面には平成5年に大宮市立東中学校と北中学校の生徒たちによって描かれた壁画が立派に存在しているのだ。駅側の側面には女の子が寝ている夢の内容が擬人化された太陽や月、ユニコーンなどのファンタジックな世界観で表現されている。東中学校による作品だ。駅の反対側にはSF調な近未来の大宮をイメージした都市が鳥観図めいた風景画として描かれている。こちらは北中学校の作品だ。魅力的な絵で、僕も昔からこの壁画を知っていたが、現在も多くの人の目に留まっているかというと残念ながらそうではないかもしれない。駅側の絵はトラックや自動車がよく駐車されており、何も隔てるものがない状態で絵全体を鑑賞するタイミングはほとんどなく、まただいぶ前に描かれた壁画なので色も褪せているので、あまり目立っていないというのが正直な印象だ。ずっとあるから当たり前のものとして人々の意識から消えてしまっているのかもしれない。小嶋さんに聞いた話では、自治会で描いてもらうお金を出したとのことで、描かれる前は無地の側面だったので、今よりも味気なく雰囲気が良くなかったとのことである。せっかく描かれた絵なのだから、再び人々の意識が向いてほしいという意図も込め、今回自分が制作する作品の中にこれらの壁画に登場するキャラクターたちも構成させてもらった。時代や雰囲気が違えど、キャラクターであるという点では要素として非常に気になるし、慣れ親しんだ地元の壁画をモチーフにし二次創作のように作品をあらたに作る事で、新たな生命力を吹き込めるのではないかと思ったのだ。生命力と言えば、この壁画に描かれている赤い太陽の絵は岡本太郎が描く太陽の造形にも似ている。当時の小学生が無意識に影響されるほど、太郎の作品は強かったのかもしれない。
 大宮の大栄橋に対する自分の思い入れと、作られここに展示されている作品との関連テキストは以上となる。太陽の絵が大きく構成された大きめのターポリンによる印刷作品は宮一コミュニティホールに設置され、小さな写真やドローイング作品は横に入った所の倉庫の壁に展示され、この文章もそこに貼られているはずだ(書いている時点ではまだ展示されていない)。色々と書かせてもらったが展示を見てくれてこの文章までわざわざ読んでくれる人というのはある程度限られているだろう。ここまで読んでくれたことにまず感謝をしたい。読まずとも、この古い跨線橋の下に色々と展示されている絵を見て、何かしらアーティストが展示をさせてもらっているんだな、これから色々何かが行われていくのかなと感じてもらえてば少しでも意味があるのかもしれない。大栄橋は経年劣化も進んでいるしお世辞にも綺麗な場所とは言えないが、そこに住む様々な人の思い出は確かにあって、自分も思い入れの強い記憶がある。そういう場所で美術作家による特異なイメージがなんらかの力になり、人々の動くきっかけになったりしたら嬉しく思う。