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 「summer clouds」にはその作品名の通り雲が画面中央に配置されている*注(1)。これはかつて広島に落とされた原子爆弾が引き起こしたキノコ雲だ。後方には、現在の日本で作者が撮影した夏の空に広がる積乱雲の写真が配置されている。その他の画面を占めているのは大量の人間がひしめき合う群衆の画像だ。それは宗教的な儀式のために集まった人々、あるいは日本のオタクの祭典であるコミケに参加する者たち、デモで傘を開いて抗議の意思を示す群衆など、様々な国や目的がないまぜになっているが、人ごみの図像という点では共通しているものたちだ。この作品の構想は2018年の年末あたりに考え始めており、人ごみの画像をたくさん使った作品を作ろうという意識だけがまずあった。それは人間が今も昔も祭ごとの際にとにかく集まって何かやるという事に関心があったからだ。飲み会、宴会、めでたい時も、人が死んだ時も、とにかく集まる。宗教的な儀式、セレモニー、いずれにせよそこには群衆がある。めでたいことだけではない。人が集まると衛生的には良くなく、現在これを書いてる2020年の年末では周知のことだが感染症や病原菌の蔓延に繋がる絶好の機会でもある。また、戦争で直接血肉のえぐり合いが行われたり、混乱に乗じて重要人物が暗殺される事件が起こるのも人間が集まるときだ。祝い事や悔やみ事、生と死、人間の歴史は人ごみとともに積み上げられてきたと言ってもいい。もっとざっくばらんに言うと、人間が大量に集まっている画像は常日頃からインターネットでよく見かけ、ミサにしろコミケにしろとにかく迫力のある人ごみ画像はずっと気になっていたので、それをテーマに作品を作りたいと思っていた。
 TOKYO2021の美術展は2019年9月に開催された。同年の7月に京都アニメーション放火殺人事件が起き、自分を含めた出展作家の多くがショックを受けていた。同月に京都へ足を運び現場を見たがそれで何が出来たというわけでもなく、亡くなられた方々へ花を手向け、祈りを捧げた*(2)。京都アニメーションが作る映像作品は夏の空が印象的なものが多い。 この日もうだるような暑さで晴れ渡り、美しい雲が京都の閑静な住宅街の上空をゆっくりと流れていた。そこに突然現れた真っ黒に焦げた社屋の姿はあまりに異質で逆に現実感がなく、自分の喉の奥が乾いていく音が延々と聴こえていた記憶がある(この事件について、またその日のことについて詳細に何かを書くことは自分には出来ない。同行した黒嵜想が書いた文章が公開されているので参照して欲しい*注(3) )。広島へ投下され十数万人の命を奪った原爆の雲、人が密集した場所で失われる命、さまざまな人ごみの画像。それぞれが画面の中で配置されているが、雲や人ごみというモチーフを構図の中で絵として成立させていく中で、現実への手がかりというか、出口のようなものを探していた。原爆のキノコ雲の根本付近に、細かい画像達に縁どられたコミケの群衆が屋内にひしめき合っている。会場の向こうは外に繋がっており、京都の山科川を挟んでうだるような熱い空と雲が遠くにかすかに見える。虚構の物語によって救われた人間は多いだろう。自分もそのうちの一人だ。画像はすべてを等価に扱うことが出来る。人の命が等価かどうか、わからない。ただ、作品を通して彼岸と此岸を繋ぐ窓のようなフレームが設定できたら、虚構と現実を繋ぐ仕事に対して自然な祈りを捧げることが出来るのではないかと考えている。

注(1)
京都アニメーション制作「AIR」の、keyによる原作ゲームにおける代表的な楽曲「夏影 -summer lights-」の英語副題から作品タイトルを着想している。「夏の影」と「夏の光」の両方の意味を持たせている楽曲名。
(2)
出展作家である飴屋法水氏など、複数人で訪れた。
(3)
ひるにおきるさる 2019年8月19日 黒嵜想 https://note.com/kurosoo/n/naac87b93280e

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